浜松に住む2人のママが、これまでなかった新しいタイプのランドセルを作りました。『ことゆくraccu』と名付けられたそのランドセルは、子を想う親たちの共感を呼び、広く注目を集めています。そんな『ことゆくraccu』の生みの親であり、『合同会社ことゆく社』の共同代表でもある、影山恵さん、和久田麻衣さんにお話を伺いました。
【第1回】ことゆく社が生まれる前の話①
「ありそうでないもの」を見つける仕事
では、「ことゆく社」を始めるまでのお2人の経歴をそれぞれ教えてください。まずは、影山恵さん、お願いします。
影山:私は独身時代から、トータルで16年、浜松のある雑貨メーカーで商品企画の仕事をしていました。
トータルで16年も!
影山:はい。企画の1人1人にある程度の采配を任せてもらえる会社で、プランナーそれぞれが作りたいものを提案できるような社風でした。
それは、やりがいがありますね。
影山:確かにやりがいもあるんですが、その半面、責任がすごい。自分が手がけたものの在庫がたくさんあると聞くと、正直ツライ部分もありました(苦笑)。
確かに・・・
影山:最初はペンケースとか学生向けの商品が多かったのですが、もっと幅広い年代の人に向けた商品を作るように会社の方針が変わって。そこで、私が考えたのが、当時ありそうでなかったシンプルなトートバッグでした。私自身が「こんなものがあったらいいな」と思ったものを形にして1000円で販売したら、それがすごく売れて! 全国的に売上が伸び、ピーク時は1回に10万枚も注文が入るほどでした。
1回で10万枚‼
影山:そのうち、会社も雑貨の売上よりトートバッグの売上の方が大きくなっていき、ついにバッグ専門会社として企画スタッフみんなでトートバッグを作ることになりました。
そのきっかけのタイミングに関わっていたんですね。
影山:はい。その後、私は結婚し、1年間の産休に入るんですが、ママになってみると、ちょっと出かけるのも荷物が多くてすごく大変で。当時、1万円を超える海外製のマザーズバッグは出回っていたんですが、なかなか自分が欲しいと思えるものがなくて。
「もっと手頃で使いやすいマザーズバッグがあれば、絶対欲しいママはいるはず!」と思っていました。
では、復帰後はマザーズバッグの企画を?
影山:はい。大容量のトートバッグ、おむつポーチ、おむつ替えマットの3点セットで5000円くらいのマザーズバッグを考えて提案しました。でも、当初、社内では反対的な声の方が多くて。
えっ、そうなんですか?
影山:当時は独身のスタッフが多かったので「マザーズバッグに需要があるのか?」ってみんなピンとこない様子でした。それでも、売り出したらじわじわと売れていき、1年後にはママ向け通販雑誌の売上ランキングで1位になっていました。
すごい。影山さんの「あったらいいな」と同じ想いの人がたくさんいたんですね。では、その後もずっと商品企画の会社で?
影山:それが…その直後に2人目の妊娠が分かり、再び産休に。復帰するつもりでいたんですが、会社勤めだと子どもと過ごせる時間が減ってしまうって1人目のときに痛感していて…。復帰せず、在宅で企画やデザインの仕事を受ける形に変更させてもらいました。
それからは、ずっと個人でお仕事を?
影山:はい。そんな生活を3年ほど続けた頃、下の子も幼稚園に入り、少し時間ができました。そこで、今度は家でミシンやペイントをして自分の手で商品づくりをしたり、この地域に伝わる注染染めをオリジナルデザインで作って手ぬぐいを販売したりするようになりました。
(写真・文/島津順子)
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